21世紀くんへ。for Kids
ハーレム・ママ。
小さな島の大きな夢。
山火事は、消さない。
おそろしい数字。
はげましの意味(1)for Kids
はげましの意味(2)
ソロバンは私のDNA(1)
ソロバンは私のDNA(2)
お手本のない時代。
修行僧のように。
「生きる力」の根っこ。for Kids New!


21世紀くんへ。

きみも気づいていると思うけど、
いま地球はとてもたいへんなことになっている。
しょうじきにいえば、
人間は豊かになるためにいっしょうけんめいで、
地球のことをすっかりわすれていた。

でも、すこしづつ変わってきたよ。
世界中の大人たちが、 きみが大きくなったときに
地球が元気でいられるように、
知恵をあつめはじめている。

で、ボクは思った。国や大きな会社だけでなく、
こどもにだってできることがあるはずだ、とね。
なにしろ、21世紀の主役はきみたちであり、
それは、自分の未来をつくることになるのだから。

自然のたいせつさを勉強する体験学習とか苗木や水草の植えつけ、
水辺のクリーンアップ(おそうじ)のボランティア体験は、
だから、おせっかい塾のだいじなプログラムのひとつだ。

とおくのきみも、自分の未来づくりに
インターネットで参加できる。
そう、きみからはじめないか。
21世紀を幸福にするのは、きみたちだ。

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ハーレム・ママ。

ニューヨーク最大のアフリカ系アメリカ人地区、ハーレム。さびれた犯罪多発地帯という
イメージから脱却するために、1994年のクリントン政権以来、急速に再開発が進められている。黒人音楽の殿堂「アポロ劇場」の修復、美術館やデパート、NBAの元スーパースタ
ー、マジックジョンソンの映画館や大型レコードショップが入る「ハーレムUSA」の建設
には、1920年代に黒人文化が花開いたハーレム・ルネッサンス再来への願いがこめられている。

しかし、黒人の人口が8割近くを占めるここでは、まだ、みなひどく貧しい。ハーレムのこ
どもたちにとってのアメリカンドリームは、依然として、NBAの選手になることだ。

ひとりの少年がいた。13才になる彼は、バスケットボールが得意だった。「何になりたい
んだい?」ときくと、このあたりの多くのこどもたちがそうであるように「もちろんNBAのスター選手さ!」と答える。周囲の大人たちも、そう信じている。道端や金網でかこまれた街角の広場でボールを追えば、そのずば抜けたセンスに、近所の応援団があつまって声援をおくる。たしかに、彼が努力をして、そしてすこしだけの運があればなれるかもしれない。

でも、彼のママは、家事の手をやすめることなくこともなげにいう。

「NBAの選手になることも重要だけど、
きちんとした人間になることのほうがもっと重要よ」

胸につきささることばだ。お金よりも大事なものがある。このことを、いま、多くの人が見失い、あるべき教育をどこかに忘れてはいないだろうか。お金は手段であり、けっして目的ではない。お金が目的になったときから、こころはすさんでいく。貧しさのなかでなお、人が生きていくうえで豊かな人間性こそ重要であるとさとす、ハーレムのママ。これこそ真の教育であり、親のあるべき姿ではないのか。彼は、きっと、こどもたちの手本になるような立派な大人に成長するだろう。そしてもちろん、NBAのスター選手にも。

あなたは、このことを、フンと自嘲気味に笑うだろうか。
それとも、なるほど、このママを見習おう、と思うだろうか。

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小さな島の大きな夢。

世の中には、本気で汗を流してがんばっている、ステキな人がたくさんいるんですね。マスコミをにぎわしている人にそう思える人がほとんどいないのは、なぜなんだろうと考えてしまいました。

放送作家のさいとうわにさんのメッセージ
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小浜ドリームズは小学生11人。

小浜島は、住人およそ500人。学校は、小中学校が合わさったものがたった一つだけあり、
両方合わせても生徒はたった30人しかいません。そのうちの小学生11人で結成されている のが「小浜ドリームズ」。地元の「八重山リーグ」に参加する12チームの中でもっとも人 数が少なく、また平均年齢も低いこのチームですが、なんと結成4年目ですでに優勝1回準
優勝1回を飾っている強豪実力派なのです。

初心者チームを強くするコツ?

この小さな強豪チームを指導しているのが、監督の大久研一さん。大久さんの指導方針は、
上手な選手も下手な選手も、とにかくチーム全員が同じことをすること。たとえ小学校1年
生であっても必ず全員が試合に参加します。実はこれが実力アップの秘訣なのだそうです。

「大負けするのがいいんですよ。その悔しさから子供たちが
自分から一生懸命練習してくれる。だからいい成績が残せるんですよ」

実際、現在は新チームになったばかりで野球初心者が多くなっていますが、キャッチボー
ルもバッティングも同じ時間ずつ練習していました。エラーばかり空振りばかりでも、チ
ームメイトたちは根気強く一緒に練習していました。

大久さんのこれまでの人生。

そんな大久さんの指導方針が生まれたのは、もしかしたら、若い頃の経験からかもしれま
せん。小学2年生で島を出て以来、大久さんずっと横浜で都会暮らし。ずっと野球漬けの
生活を送っていたが、野球部のない高校に入学してしまい転落の一途をたどる。暴走族の
グループに入り、高校を中退し、何度も警察のお世話になった。そんな時代の唯一の楽し
みが、やはり野球。なんと、同じ不良仲間を集めて、横浜の埋め立て地で野球大会を開い
てしまったそうです。結局20歳の時、そんな自堕落な生活から逃げるために、ちょっとし
た旅行のつもりで小浜島に帰省。そのときに触れた島の人々の優しさに、そのまま横浜へ
帰ることがなかったのです。その恩返しのつもりもあるのでしょうか。「小浜ドリームズ」については、自分の考えだけでなく、父母や島民の意見や参加を出来るだけ取り入れるようにしています。

まさに「フィールド・オブ・ドリームズ」!

大久さんはもちろん、たくさんの島の人たちの愛情を受けている「小浜島ドリームズ」。
練習場である小浜小中学校の校庭は、小浜島の海が一望できる立地で、サトウキビ畑の横にある芝生のグランドの様子は、まさに映画「フィールド・オブ・ドリームズ」さながらの素晴らしさ。夢の全国制覇に向かって、応援したいと思います。
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山火事は、消さない。

1987年。アメリカ、イエローストーン国立公園では、いつものように山火事が発生した。
いつものように、というのもおかしないいかただが、イエローストーン国立公園では、毎年落雷による山火事が発生する。1987年のそれはひときわ大規模で、大きく燃えひろがり、やがて民家に近づく可能性がでてきた。近隣のお店や住人に、避難するようおふれがだされたのはいうまでもない。しかし、いつもとちがうのは、火を、消さなかったことだ。

(なぜだ!)公園管理センターには、とうぜん苦情が殺到する。しかし、そのとき、森林レンジャーのひとりがいった。

「母なる自然がはじめ、母なる自然が終えるのです」

思わず声をあげた。カルチャーショックであった。いままで、火事は消すもの、と信じてうたがわなかったが、それが一方の見方でしかないことに気づかされたのだ。そしてまったく逆の価値観を提示されて、これも「発想の転換」のひとつなのだ、と気づいた。 その年、こころみに、山火事は消さない、という新しい方針がしめされた。それは、山火事もまた何億年とつづいてきた自然のいとなみであり、(つまり、森は「繁栄と消失」をくりかえしてきたのであり)それに人が手をくわえるのはよくない、という考えかたにもとづいている。

火事は、森の多くを焼きつくした。焼けただれた、黒い大地が残った。しかし、変化はそのときからおこった。ありのままの自然にふれるためにつくられた木道に、観光客がどっと押しよせた。ガソリンスタンドは息を吹き返し、レンタルサイクルショップは、自転車が足りないほどの盛況だ。かえってお客さんが増えたよ。不思議なものだね。はじめは批判していた多くの人に、(納得したかどうかはともかく)笑顔がもどった。

森林レンジャーは、さらにいう。

「自然は、必ずしも緑豊かなものとは限らないのです」


燃えた倒木のあとかたづけには、多くのボランティアが集まった。参加したひとりの高校生は、インタビューにこたえていった。

「わずか数日間でしたが、この経験は、わたしの人生にとってとても意味あるものでした。
これからの人生を生きていくうえで、大きな誇りになると思います」

次の年の春。 イエローストーン国立公園の黒い森に、萌えるような緑の息吹がよみがえっ
た。森は、生きていた。人々はそのたくましい生命力に感動し、そしてすべてを理解した。

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おそろしい数字。

これは、社団法人日本小児保健協会がまとめた2000年度「幼児健康度調査」の結果 です。
「子供の夜更かし」と「キレる若者」の関係についても語られています。

15分しかがまんがつづかない。思い通りにならないとすぐにイライラして他人に当たる。
イジメの理由を聞かれて、だっておもしろいじゃんとヘロヘロ笑う。茶髪やガングロ(い
ま はいなくなったか)とか、みんながやっている単なる低俗な風俗を、個性だとかんちが
いする。飲みながら歩く。歩きながら食べる。電車で化粧する。ところかまわずすわりこ
む。重要なメッセージなどありもしないのに、ケータイをはなせない。家庭と公共の場所
の区別
さえできない。はじらいがない。自分を社会とのかかわりのなかでとらえることが
できない。つまり、自我の目覚めも社会性のかけらもない。じつに、とりとめがない。

しかし、こどもは、勝手に悪くならない。けっきょく、育てた?大人の責任である。しかもひきょうにも見ぬ ふりをして通りすぎようとする。知恵がない。感性がない。勇気がない。ここらへんで、真剣に考えないといけないのではないか。少しばかり、勇気をふりしぼって行動すべきではないのか。この数字の若者たちが、将来の日本をいや世界をつくっていくんだよ。大丈夫なのか。寝不足だけじゃない。夜遅く、小学生が塾の帰りにコンビニでスナックを買って(歩きながら)夕食がわりにする。キレルのは、そんな食習慣からくる栄養のかたよりもあると指摘されている。いつでも、なんでも、かんたんに手に入る=便利さの負の部分も見ないといけない。この数字から、あらためて考えてみたい。

2001年6月6日日刊ゲンダイより
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夜更かしする5-6歳児は20年前の4倍、1-2歳児でも2倍に。

調査によると、午後10時以降まで起きている5-6歳児は全体の40%に達し、80年度調査の
4倍に急増。1-3歳児では50%を超えており、こちらは20年前の2倍以上という。そこで気
になるのが、子供の夜更かし傾向と最近のキレやすい若者の増加との“因果 関係”だ。 実
際、東京都立教育研究所が99年に小学4年生から中学3年生を対象に行った調査によると、
「イライラする」「キレる」「ムカつく」といったイライラ感が強い子供の5割以上が「就
寝時間は夜12時すぎ」で、イライラ感が弱い子供の2倍以上に達し、「夜更かしする子供は
キレやすい」と結論している。

寝不足が脳の発達を邪魔する。

それはなぜなのか。教育問題に詳しい心理学博士の鈴木丈織氏がこう言う。

「小学生までの子供の脳の発達にとって、十分な睡眠は必要不可欠です。この時期に睡眠不
足だと脳内の神経細胞と神経細胞をつなぐシナプスという突起が十分に発達せず、脳細胞の
電流の流れが悪くなる。いわゆる頭の回転がスムーズにいかなくなり、物事への対応力が育
成されない。それで自分の思い通りにならない事態に出くわすと、どう対処したらいいか分
からずパニックになり、その結果、キレてしまうのです。また睡眠不足だと脳細胞の緊張状
態が続き、やってはいけないと分かっていながら悪いことをしてしまう“反動形成”に陥り
やすくなる。子供のころに夜更かしの生活を続けると、成長した後もちょっとしたことです
ぐにキレて暴発しやすくなってしまいます」

今回の調査で5-6歳児の44%がテレビゲームをしていることも分かったが、これがまたキレ
る子供の増加に拍車をかけている。国立小児病院神経科医師の宮尾益知氏がこう言う。

「人とどう付き合うか、他人から何かされた時にどう対処するかといったソーシャルスキル
(社会技能)は、小学生ぐらいまでに同世代の子供と接触することで磨かれます。この時期
にテレビゲームで遊んでばかりで他人と付き合うことが少ないと、 社会への適応力は養えま
せん」

このままでは、ささいなことで殴り殺されるといったとんでもない事件がますます増えそう
だ。
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はげましの意味(1)
アルフレードからトトへ。


20世紀前半の人、尊敬する精神科医の森田正馬(しょうま)先生のことばに、「あるがままに生きよ」というのがある。ボクが座右においていることばのひとつでもあるが、それはけっしてネガティブななぐさめではなく、「好きなように、わがままに生きなさい」ということでもない(誤解するとたいへんだ)。「自分をよく知り、ときにはちからを抜いていいんだよ」というしずかな「はげまし」だとボクはかいしゃくしている。

自信にみちているときは、がむしゃらに走ればいい。でも、走りつづけることはできない。
ときとして立ちどまり、なやみ、弱気になることだってある。そのとき、自分を否定してしまうとネガティブなサイクルに入り、自分がからまわりしてしだいに深みにはまっていく。そんなときのために、このことばはあるのだと思っている。人間の本質をとらえ、

「考えこまないで、ちょっとちからを抜いてみようよ。ムリをすることはない。
自分でできるはんいで、すこしづつがんばればいいさ。自分の、あるがままでいいんだよ」

と語りかけるこのことばは、どれだけ多くの人のこころをなやみの淵から救い、そしてはげましてきただろうか。

人間は弱いものだ(と、まずは規定する)。なにひとつ不安もなく、毎日が自信にみなぎりなやみのかけらもない人が、はたしてこの世の中にいるだろうか。(いるとしたら、おめでたい人にちがいない)

迷ったり、なやんだり、弱気になったり、自信を失ったりする。だから人間だ。ではそんなときのために、いちばん有効なものはなにか。ボクは、「はげまし」だと思っている。自分自身かもしれない。ともだちかもしれない。本かもしれない。そして、1本の映画かもしれない。

(人がひとつのシーンも見逃すまいと画面に集中しているというのに、映画そっちのけでペチャペチャしゃべったり、わざわざしずかなところでカサカサ音をたてながら袋からお菓子をとりだしてはポリポリと食べるおバカがかならずあらわれるから......おっと、これは「おこってるぞ」のテーマかしらん)..........映画館というところにめったに行かないボクがめずらしく「ニューシネマパラダイス」というイタリア映画を見にいった。それは、ぐうぜん目にしたTVコマーシャルで、こんなひとことを聞いたからだ。

「自分がすることを愛しなさい」

主人公のトトが兵役を終え、故郷のシチリアにもどった。しかしトトが信頼する、映画館の火事で視力を失ったアルフレードは、トトの未来のために、(はげまし:その1)「ここにはなにもない。お前のいるところではない」とミラノに行くことを説得する。やがて決心したトトの出発の日、見送る駅のホームで、アルフレードがトトをだきしめながらいう。

(はげまし:その2)「自分がすることを愛しなさい」

つらいとき、さびしいとき、がんばっている自分を愛してあげなさい。そうして、自分がし
ていることを信じていっしょうけんめいやれば、きっとうまくいく、といっているのだ。な
んとすばらしい第一級のはげましだろう! さらに、(はげまし:その3)「故郷を忘れろ。
決してふりかえるな」とつきはなす。これもまた、すばらしい「はげまし」(=この場合、
愛あるつきはなしの形)といえる。

人間の多くはじつは弱い。強がっている人ほど、自分が否定されたときにはもろいものだ。
迷ったり、がんばってもうまくいかなくて落ちこんだときには、森田先生のことばを思いだ
そう。なやんでいるのは、自分だけじゃない。自分をみつめ、そこからまた、ゆっくりがん
ばればいい。そうして、大事なときにはげましてくれるともだちをつくろう。人にはげまし
を期待するのは、けっしてはずかしいことじゃない。

もしもまわりに、落ちこんで、はげましをほしがっていると感じる人がいたら、キミのこと
ばではげましてあげよう。あたりに、なにかに踏みだす勇気がでないで立ちすくんでいる人
がいたら、ポンと背中を押してあげよう。人は相談するとき、自分がどちらにいくべきかほ
んとうは決めていて、だれかに賛成してほしい、ということが多いのだから。人は、そうや
って、はげましあって生きていくものだから。そうすれば、あたらしい未来がひらけるかも
知れない。

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はげましの意味(2)
マンマからパバロッティへ。


ルチアーノ・パバロッティ、プラシド・ドミンゴそしてホセ・カレーラス(年齢順ね)。
この三大テノールのうち、いちばん上手なのはだれか、という議論は、もはやナンセンスである(いちばん好きなのはだれか、という議論なら、お好きにどうぞ)。それぞれが異なる美声と得意の領域、根強いファンを持ち、ひとつの世界を確立しているからだ。たとえば、ホセ・カレーラスが白血病の長い闘病生活から復活し、はじめて開かれたミラノ・スカラ座公演では、その声はか細く、おとろえをかくせなかったにもかかわらず、おかえりなさいという祝福の声がやむことがなかったという。

といっているそばからおきてを破ってしまうが、美声という点で、ボクはだれがなんといってもパバロッティが一番だと信じてうたがわない(なにしろ、一時おっかけをしていた)。頭痛がスーッとなおる、明るいイタリア声。驚異の高音=ハイC。ていねいで自然なイタリア語。テクニックに逃げないでいい、豊かな声量 ゆえのすなおな歌唱法などなど....。

さて、そんなパバロッティも、はじめからオペラ歌手をめざしていたわけではない。決心の裏には、母親の絶妙の「はげまし」があったのだ。 パバロッティは、父親ゆずりの美声を持っていたが(ちなみに、パン屋をいとなんでいた父親は、近所の聖歌隊でも歌っていた)、サッカーも得意なスポーツマンであった。そのころは、いまからは想像もできないほどほっそりしていた。彼は、将来高校の体育に先生になろうか、歌手をめざすか、長い間決心がつかないでいた。しかし、いよいよ決断しなければならないというとき、母親のことばが彼の背中を押すことになる。

「ルチアーノや、あなたの声には、ミレッラと同じものを感じるの」


ミレッラとは、当代きってのソプラノのナンバーワン、ミレッラ・フレーニのことである。
ルチアーノとミレッラは同郷の幼なじみだったが、ミレッラは一足先にデビューしていてすでに華々しいスターへの階段を登りはじめていた。そのミレッラと、同じ輝きを持っている、とマンマは表現したのだ。

ふたつの道を前に悩むのは、「より困難な道にすすみたいのはやまやまだが、踏みだす決心がつかない」という場合が多い。そんなときは、客観的にみてやれるのではないか、あるいは、挑戦するだけの価値がある、と判断できたときは、迷うことなく背中を押してあげるのが正解だ。なぜなら、悩んでいる人も、すこしばかりの勇気がでなくて、はげましを待っているにちがいないからだ。マンマは、それをした。「ミレッラと同じものを感じる」。これもまた、なんとすばらしい、第一級の「はげまし」だろうか。

母親のひとことで決心したルチアーノは、やがて不世出のテノール、カルーソーと比較される、最初で最後のスーパーテノールになる。

もしもまわりに、あなたのアドバイスを必要としていると感じる人がいたら、あなたのことばではげましてあげてください。あたりに、なにかに踏みだす勇気がでないで立ちすくんでいる人がいて、そしてあなたが、それを正しいと信じられるならば、ポンと背中を押してあげてください。人は相談するとき、自分がどちらにいくべきかほんとうは決めていて、だれかに賛成してほしい、ということが多いのだから。人は、そうやって、はげましあって生きていくものだから。そうすれば、あなたのまわりから、もうひとりのパバロッティが生まれるかも知れない。

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ソロバンは私のDNA(1)

ソロバンからはじまり、神経細胞を成長させるしくみ、そして教育、経済、政治、産業、恋愛をへて、学力や知力を失いつつある現代へと展開する黒川さん。ここでも、「親や教師や周囲の環境がその後の子供の成長に大きく影響を与える」ことが語られている。

トモエそろばんHP「そろばん応援席」より
黒川 卓さんのメッセージ
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ソロバンの形を頭に浮かべ、ふと、「DNAに似ているな」と思った。最初、そんなに深いことを考えたわけではない。DNA(デオキシリボ核酸)というのは我々の体を構成する細胞の中にある細長い分子。その長手方向の所々に点在する遺伝子という領域が体の成長を決めている。ソロバンは4個の珠、DNAはA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)という 4種類の塩基からできているから、「構造が似ているな」と感じたのだ。正確には、ソロバンは4個の珠が1本の棒に通 され上下からフレームに挟まれて並んだ連続構造だが、 DNAはAとT、またはGとCのペアから成る2個ずつの連続構造である。その上ソロバンには桁が変わる時に使うもう1個の珠(5つ珠)があるからさらに違う。

そんな厳密的なことを言っては話が終わってしまうが、「両者には絶対に何か関連性がある
はずだ」と頭の中で決め付けてしまった。時々、何かを考え始めると止まらなくなってしま
うことがある。子供のころからそうだった。今回も「またか。しまった」と思った(冗談)

ソロバンとDNAを関連付けるうちに、教育、経済、政治、産業、恋愛などいろんなことを考えた。すべて結論には達していないが、現時点ではっきり言えるのは「ソロバンもDNAも無限の可能性を秘めている。でも、使わなければただの道具」ということ。

積極的に知識を吸収し、モノを考えることが脳を成長させる。

「細胞生物学」の教科書によれば、人間は周りで起こった事に触発されてからモノを考え、
その思考力が神経細胞を成長させるという。決まったプログラムが毎回同じ答を出すコンピ
ューターと違い、人間は同じ問題が与えられても、その時によって違った答を出す。最初は
偏った考えの答しか出さないが、周りの人や自然との交流、異なった文化と接することよっ
て知識が豊富になり、徐々にたくさんの回答を出せるように成長する。つまり、それまでに
頭の中に蓄えられていた知識に、さらに新しい知識が加わり、最新の知識を道具として思考
することで精神はまた成長する。 問題は、経済的に豊かで行動が自由な社会になるにつれ、
人間は苦痛なことの受け入れを拒否して新しい知識の吸収を自ら断ち、全体的に学力や知力
を失いつつあることだと思う。
そうならないようにするには、人は外からの押し付けを初め
から押し返すのではなくいったんは受けとめ、次に判断する能力を育てるべきなのである。
そうしないと頭は成長しない。古く印象の薄い記憶は消えるので、成長しないと言うより退
化する。

子供の潜在能力を発揮させるのは親や教師の責任。

「あのお宅はご両親が優秀だから、やっぱり子供さんも。それに対してあちらはね・・・」
と、子供がダメな理由はよく遺伝のせいにされる。これは完全には正しいとは言えない。
特別な知的障害を持っている場合は別だが、健全な脳を持って生まれてきた子供に対しては
親や教師や周囲の環境がその後の子供の成長に大きく影響を与える。 人体は、親から遺伝する。しかし、体の構成部品によって、遺伝の割合が大きく異なる。顔立ちと体型は非常に似る。それに対し、ある講演会で聞いたのには、脳神経の遺伝の割合は約30%。つまり、残り70%は生まれてからの周りの影響と自分の努力によって、どうにでもなるということである。 ダメな親の子供がたいていダメなのは、親の行動と言動が子供に対してよいお手本になっていないからだと思う。

学校で教える勉強内容を、親は常に子供より先に多く知っていればいいという問題ではない。現に、高校生くらいになれば、ほとんどの親は子供の教科書を理解できない。私が高校時代、 生徒は教師より難しい問題を解けた。東大法学部に行った同級生の一人は、英語の先生に英単語を教えていた。それはしかたない。大切なのは、親や教師は子供に対し、好奇心を持たせ、頭を使うことの重要性を理解させ、受験問題の模範解答でなく論理的に思考するよう導くこと・・・だと思う。

私は、そもそも、小中高の在学生が通う学習塾や参考書が存在すること自体がおかしいと思う。子供のころ、周りに学習塾が無かった。有ったのはソロバンと習字塾だけ。「ど」の付く田舎だったからである。高校時代、ハチマキをした小中学生がギッシリ詰まった都会の学習塾をテレビで観た。その時、恵まれていることをうらやましいと思った反面 、同じ餌を与えられて自分の出荷を待つ養鶏場や養豚場のように見え、気持ちが悪くなった。

なぜ学校と教科書が有るのに、下校してから同じことを教える学習塾に行くのだろうか。絶
対におかしい。本来、学校で基本的なことはすべて教えてくれるはずなので、帰宅しての時
間はそれまで習ったことの意味や理屈を自分で考える方がよい。納得、あるいは理解ができ
ないことは次の日に学校の先生に聞けばよい。塾が無かったせいもあるが、私たちはそうし
ていた。

でも、いまさら学習塾というビジネスは無くならないだろうし、塾へ行くならまだましかも
しれない。社会が豊かになるにつれ、親や教師はますます子供を見離し、子供は親や教師が
怖くなくなってきたので自由で楽な方向に逃げている。強制的な拘束力が無くなった場合、
大人も子供も楽な方向に向かうのが自然なのだろう。そうやって、知識の補給が断たれた自
由な子供達だけが集合し、お互いを低め合う遊びばかりをする。平日の昼間から渋谷周辺を
うろついている子供達は、目に生気の無い捨て犬に見える。吠えてはくるが、しゃがみこん
でいて体力もなさそうだ。この状態は大人が何とかしなければならない。


たとえ塾で受験のノウハウを習得して大学に合格しても、目的意識が無いので勉強しない。
入学前に暗記した知識は、理解していないので1年もしないうちに忘れ去る。

つづく

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ソロバンは私のDNA(2)

ソロバンからはじまり、神経細胞を成長させるしくみ、そして教育、経済、政治、産業、恋愛をへて、学力や知力を失いつつある現代へと展開する黒川さん。ここでも、「親や教師や周囲の環境がその後の子供の成長に大きく影響を与える」ことが語られている。

トモエそろばんHP「そろばん応援席」より
黒川 卓さんのメッセージ
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私たちは中学校から英語を習ってきた。しかし、国際会議で日本人の英語力は世界最低レベ
ル。特に、実際に研究を行った若手研究者を来させないで、年功序列で観光旅行目当て来た
管理職はひどい。大学の先生に食事をおごって出張報告書を書いてもらい、自分は遊びに出
かけるところをみたことがある。社名は言えないが、誰でも知っている大企業の理事、しか
も工学博士号を持っていた。

英語を学ぶ本来の目的は、世界の情報を理解し、共通語として海外の人との交流に用いるた
めではないか。単に大学に入るために暗記した英語は、社会に出てまったく役に立っていな
い。たどたどしい旅行英語が相手に通じて満足している人も多いが、学会やビジネスでは使
えない。丸暗記した英語表現を使うのでなく、英語でモノを考えなければ通 用しない。義務
教育期間である中学の3年間だけでも本当に英語を勉強したのなら、話ができないことは何
かがまちがっている。

米国シリコンバレーにある某巨大IT(情報技術)企業の社長は、アジア地域で日本での事業
を見直し、日本法人を閉じることまで発言したことがあるらしい。その理由は、「アジア地
域で唯一日本だけ、クライアント向けの資料をすべて日本語にしなければならない。他の国
では資料も会話も英語のままですむ。そのうえ日本では人件費がやたら高い。売上成績もか
んばしくない」からだと言う。日本法人の社員の英語力は極めて高い。問題は、クライアン
トとなる日本人全体の英語力が低すぎること。おそらく、困っているのはこの外資系企業だ
けではないと思う。国内経済の活気を海外との交流に期待しても、日本の評価が下がっては
相手にされなくなってゆく。

ITと科学技術の進歩が思考力を低下させている。

本来、ITというものは情報の流通を活発にするための便利な道具。IT化が進むほど、客が受
けるサービスも向上するはずだ。ところが実際は、企業の人員削減のためにIT化が進められ
実質的にサービスは低下している。

例を挙げると、銀行の自動振込機は客に銀行の仕事をさせ後ろの客を待たせ、通 信事業者の
統合でサービス内容はますます複雑になり、問い合わせに対して担当者間をたらい回しさせEDIと称する電子商取引は、自社の利用マニュアルを相手に強制的に使わせる。1社ならいい2社、3社と増えるにつれ、納入業者はたくさんのマニュアルを覚える必要があり、仕事量 が増える。 ようするに、ITは理想に反して余計な仕事を増やし、仕事をする人としない人の差を広げ、そのうえサービスを低下させるという状況にある。ここでも、できるだけモノを考えないで楽をしたいという人間の悪い習性が結果 として現れている。

最近、原子力発電所での事故が増えてきた。私は原子力分野の研究者だったので特に気にな
る。事故の原因は、原子炉の老朽化にもある。しかし、原子力を理解している人が減ってき
たことが根本的な理由かもしれないと思う。もともと危険な原子力を発電に利用する場合、
十分な知識と注意力が必要となってくる。しかし、機械化と過去の事例のファイリングは進
めるが、原子力の危険性をよく知らない作業者に、原子力の基礎を理解していない使用者が
仕事を任せている可能性がある。さらに現場の作業者は、制限時間の間に効率よく仕事を済
ませるために手抜きをする。このような悪循環が、原子力発電所での事故原因の一つだと私
は個人的に心配している。

科学技術の発展は、「進化が変化に付いて行けない」問題をますます浮き彫りにしている。
生命工学における遺伝子の改良がそうだ。本来、生命体は自然の変化に呼応しながら長い年
月をかけて進化する。しかし今、遺伝子操作によって細胞の性質を内側から強制的に変化さ
せることができるようになった。工業化による外側からの人工的な環境の変化もある。これ
らは医学や産業の進歩にとって重要だが、原子力と同様、コンピューターや機械だけに任せ
て人がモノを考えることをやめた場合、非常に危険な事故が起こってしまうことは間違いな
い。どれだけ科学が進歩しても、常に人間が考える余地がないとたいへんなことになる。

意欲有る人とのコミュニケーションがDNAから潜在能力を引き出す。

冒頭で述べたように、人のDNAは無限の可能性を秘めている。問題は、人がモノを考えなく
なってきたので、DNAを揺さぶれず、潜在能力を出せなくなってきたことだと思う。偉そう
なことを言うほど自分自身は立派で はないが、ご提案として、できるだけ実力があって前向
きな人とたくさん会うことを勧めたい。仕事を押し付けるためでなく、その人たちから学ぶ
ためである。

私が子供のころ、勉強をする人はいじめられた(私は勉強が嫌いだったが、気が小さいので
いじめられた)。あれは何なのだろうか。人間の習性として、勉強して一歩飛び出すことを
阻止する生物としての潜在的心理があるのかもしれない。ヒエラルヒーができる集団の中で
は、階層を維持するために教育を受けさせないケースまである。序列を守ったほうが安全だ
という防衛本能が有るのかもしれない。

日本社会では「お手本」や「教え」が重んじられ、死ぬ までひたすら辛抱し、頂上のどこま
で近づけるかを重要視する。たとえ頂上に達しなくても、その過程を経験しただけで仲間に
入れてもらえる。この習慣は文化や村社会を守るためには大切な反面、先人を超えたり間違
えを改めることを良しとせず、ひたすら忠実に従うことが美徳とされる。必ずしも悪いこと
とは言いきれないが、問題は、何のために序列の順に従うのか、その理由を考えないできた
ことだと思う。このような長年の習慣が、モノを考えず大学合格や出世のためだけに勉強す
る日本人を作ってしまった。

今は、昔より勉強する条件が恵まれてきたと思う。中学を出るまでは、国民はみな同じ教育を受けることができる。大学まで行く人が増えてきたので、さらに教育を受ける機会が増えた。社会人になっても、放送大学で、生涯、高等教育を受けることもできる。しかし恵まれるにつれて勉強をしなくなってきたのは不思議な現象と言える。これはわがまま以外の何ものでもなく、言い訳はできない。

「ソロバンは私のDNA」と題したが、ソロバンの中に遺伝子は無い。本物のDNAの中には、
遺伝情報を担うエクソン、遺伝情報は持たないがエクソンの働きを縁の下から支えるイント
ロンという領域がある。ソロバンは強いて言えばイントロン。指を使ってイントロンである
ソロバンをはじき、ソロバンから指に戻ってくる信号で脳神経のエクソンを働かせる。だか
ら、人間のDNAとソロバンは共生していると言える。

◎追伸
今から35年前、私が小学校3年生の時である。私は古川という町(2002
年春のNHK朝の連
ドラの舞台)で春からソロバン塾に通い始めた。そしてその冬、父から500円のトモエソロ
バンを買ってもらった。それまで父のお下がりを使っていたので、とてもうれしかった。と
ころが、買ってもらったその日、ソロバン塾の前の雪で滑って転び、小川にソロバンを流し
てしまった。ソロバン塾から皆が出てきて探してくれたがダメだった。何日も泣いた。公務員である父の給料は決して高くなかったが、私があまりにも悲しそうなので、母と相談してまたトモエソロバンを買ってくれた。うれしかった。今度は絶対に落とさないように気をつけた。モノと友達を大切にしましょう。
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お手本のない時代。

ゆとり教育の大きな目的のひとつに、「生きる力の育成」がある。ゆとり教育には賛否ある
が、そこから生まれた時間と気持ちのゆとりがほんとうに「生きる力」に向かうとしたら、
賛成の手をあげる。有効なオルタナティブ=対案をもたずしての反対は、なにももたらさな
いだろう。もう、机上の議論ではなにも解決しない。あたらしい可能性へのこころみをつぶ
してはいけない。目標を掲げたのなら、動きはじめることに意味があるのだ。そうして、も
っとよい方向が見つかればちゅうちょすることなく軌道修正して、精度を高めていけばそれ
でいい。はじめなければ、100年たってもなにも変わらない。

同じ目的で授業にとりいれられた「総合的な学習の時間」には、したがってほぼ無条件に賛
成だ。知識と知恵が高いレベルでバランスがとれていればいいのだが、知識ばかりたくさん
つめこんだって知恵が開発されていなければ、応用問題は解けない。知識などは、使わなけ
ればすぐに忘れる。つめこんだあとの、むなしい反動もこわい。欧米へのキャッチアップの
時代は終わった。さがしたって、もうお手本はない。(......その意味では、生きる力が必要な
のは大人のほうなのだが)。日本人も、その創造力で、自らの道を切り開かなければならな
い時代がきている。人生は応用問題だ。生きるということが=重要なことからささいなこと
まで、知識と知恵を駆使した「仕事場、地域、家庭での問題解決」の連続であるとするなら
ば、「総合的な学習の時間」での、自分で考え、調べ、解決する練習は創造的なこころみだ
と思う。もちろん、カリキュラムを吟味し、最大限有効に活用していかなければいけないの
はいうまでもないが。

(おせっかい塾では、その活動のひとつとして、学校のニーズに応えながら
総合の時間のサポートをひろげていきたいと思っている)

とはいえ、ほんとうのことをいえば、「総合的な学習の時間」のような授業が必要になって
しまったいままでのあり方、背景としての社会構造にこそ思いをはせなければならない。お
せっかい塾の構想をねっているとき、仕事でお会いした高名なノーベル賞受賞者はいった。
「教育だけ変えればいいというものではない。社会構造から変えなければいけない」と。教
育に限らず、現在の日本がかかえるいろいろな問題は、結局は明治以来の100年以上にわた
る社会構造からきているとすれば、それを変えるのは容易ではない。大学が変わらなければ
いけない。高校が、義務教育が変わらなければいけない。そしてその前に、学生を選ぶ企業
のものさしが変わらなければいけない。それこそ、気が遠くなる。だから、できるところか
らはじめる。

「総合的な学習の時間」のような学びの機会は、多くの部分、かつては地域社会が担ってい
た。無条件に賛成といったのは、地域の教育力が失われてしまったいま、それを嘆いていて
もはじまらないと思うからだ。はじめなければ、100年たってもなにも変わらない。こども
からはじまった「総合的な学習の時間」に象徴される教育の変革は、とおくのほうでかすか
な光を放つ、21世紀型社会構造のはじまりととらえたい。

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修行僧のように。

昔はすべてよかった、というつもりはないが、残念ながらたいてーのことはよかった( と、
いまは思える)。たとえば、30年40年前のこどもは、すくなくとも自分の可能性をのびの
びとためす機会(=ゆとりと場)にめぐまれていたのではないか。いろいろな体験をし、さ
まざまなものに感動し、少々のきけんにもちゃんと出会ってリスクマネイジメントを身につ
け、ときには失敗から勉強する。そうやって、からだで自然を学び、人間を知り、社会を理
解する。つまりボクたちにとって、そのころは毎日が「総合的な学習の時間」だったのだ。

一歩おもてに出れば、自主的研究課題には、ことかかない。つぎつぎわいてくる好奇心をあ
りのままに遊ばせながら、トンボとりはほぼ卒業して、ボクはすこしたくましい中学生にな
っていた。時間の空白というものがないボクは、こんどはすぐに、釣りにのめりこんだ。同
じクラスに大の釣り好きがいた影響もある。川でのヤマベ(学名オイカワ。名古屋では白ハ
エといった。春になるとオスは見事な婚姻色に姿をかえる)を中心に、海ではキスやコチ、
カレイをねらった浜辺からの投げ釣り、防波堤でアイナメや黒ダイを狙った。毎週のように
始発電車にのって、名古屋市内の東山動物園ちかくから三重県や知多半島のあっちこっちま
ででかけた。母親はいつも、ボクより早く起きて、おにぎりをつくってくれた。(このへん
のことは、おはようでもずいぶん話したね)

やがてヘラ鮒釣りも少々かじり、たいていの魚は経験したのだが、しかし、中学生にはどう
しても手の届かない魚がいた。川の上流、山あいの渓流にしか住まない山女(ヤマメ)であ
る。しかし、思いがけなくある日、あこがれのその魚に出会うかもしれないチャンスが訪れ
た。ともだちの母親につれられて、ともだちとボクの3人で長野県にトンボを取りに行く計
画がもちあがったのだ。ねらいは、ムカシトンボであった。その名のとおり、オニヤンマと
同じシマシマ模様を持ち、それより少し小型で、羽根をタテにたたんでとまる(これがトン
ボの原始のすがたであったことから、ムカシトンボと呼ばれた)、めったにお目にかかれな
い幻のトンボだった。

そのとき、すでに釣りにメインをシフトしていたボクは、昆虫採集の一式に、振り出し式の
渓流用ロッドをしのばせた。あらゆる可能性を追求する。中学生になっても、やはりよくば
りなのであった。松本駅で電車をおり、山の中に分け入った。なにしろ共通 のテーマがムカ
シトンボであったから、はじめはもっぱらそっちのほうにせいをだしたが、もちろん、こど
もがきまぐれに出かけて見つかるようなトンボではない。何日かかかって、収穫はゼロであ
った。そのとき、ふと耳をすますとしげみの向こうに水の音がする。近づいてみると、幅2
メートルくらいの美しい川だ。こころが踊った。すっかり高くなった陽の光に、水面 がキラ
キラと輝いている。そんな時間だから、魚の気配はない。

(でも、念のため竿をだしてみよう)

ともだちからはなれて、当初の計画どおり、釣りをはじめた。もちろん、毛針などというも
のはなく、その場で川虫を採る知識もない。エサは、持参したビンづめのイクラであった。
ハリから1メートルくらいのところに、セルロイドでできたピンクの(ひしがたのような)
目印をつけていた。しかけを流れにまかせ、糸を張り、目印の不自然な動きと手に伝わる振
動を待つ。

何投目かのとき、そんな初心者の手のひらに、魚信が伝わった。ブルブル。反射的に竿をあ
おると、15センチくらいの魚が水面からとびだした。ヤマメだ!心臓がバグバクいった。図
鑑よりも、生命力にあふれて何倍も美しい。はじめて見るヤマメは、銀色の魚体にくっきり
と幼魚紋が浮かびあがっていて、しばらくの間、その信じがたい美しさを記憶に深くきざみ
こもうとした。最初で最後。それいらい、ヤマメとはお目にかかっていない。

ときおりブランクはあるが、いまも釣りはつづけている。しかし、釣りは自然が相手だ。水
量、水温、風向き、気温の変化など、複雑な要素で構成されている。渓流釣りを筆頭にして
ヘラ鮒でさえ、かんたんに釣れるものではない。少し釣れるようになったと思うと、また、
まったく釣れない日がやってくる。できかけた自信は、こなごなに打ちのめされる。それで
も、また行く。もしかしたら、こんどは待っていてくれるかも知れない、などと思って、通 う。釣り人は、修験者に近い。

まだ、一度もしたことがない釣りがある。フライフィッシングだ。英国生まれのこの釣りは美しいロッドをたくみにあやつり、ライン(糸)の重さで水生昆虫に似せたフライ=毛針をとばし、ねらったポイントにふわりと着水させる。人と魚との知恵くらべであり、虫のハッチ(羽化)の様子を読んだり、川や水生昆虫の生態に深い知識を必要とする。ある人は「まず川を知ることだ」という。もういちど、ヤマメに会いたい。次は、ぜったいフライフィッシングだ。ボクはいま、デスクのパソコンの前で、映画「リバーランズ・スルーイット」の世界に遊んでいる。

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「生きる力」の根っこ。


海や山にでかけるとき、
こどもたちにぜひ
もっていってもらいたいものがあります。

それは、ワクワクをみつける「アンテナ」です。
ふしぎをみつける「アンテナ」です。

そうして、生き物のふしぎをみつけたら、
こんどは、図鑑やインターネットをつかって自分で調べてみよう。

ふしぎをみつける。そして、自分でこたえを調べる。
それが、「生きる力」の根っこになるからです。

二つ目は、生き物にはやさしくしなければいけない、ということです。

生き物の中で、人間はいちばん進化している、といわれています。
でも、いちばんえらいということではないよね。
もし、いちばんえらいと思ってエバっていたら、どうなるかな?

人間は平気で弱い物をいじめたり、
へってしまっても平気だったりするよね。

だから、逆に考えてみよう。
いちばん進化した、ということは、
つまり、生き物をまもれるも、人間だけということなんだ。
(このことは、誇りにしていいよ)

自然のなかで生き物に出会ったら、
やさしくしてあげてください。
それが、地球の環境をまもる第一歩になります。

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