学生スタッフ
高橋隆輔の国際平和村体験記


国際平和村とは・・・・ドイツの北西部(デュッセルドルフ市にほど近い)オーバーハウゼン市にある非営利組織です。世界各地の紛争地域から現地の医療では治療不可能な子供達を集め、ヨーロッパの医療によって回復させ、本国に戻すという活動を35年間続けています。その活動資金は一切を寄付金でまかない、日本からもここ3年間で2億円あまりの寄付金が寄せられています。
くわしくは国際平和村ホームページ、女優の東ちづるさんの著作「わたしたちを忘れないで ドイツ平和村より」、通 販生活2002年夏号などでご覧ください。

7月20日
(クアラルンプール国際空港にて)

  いよいよ楽しみにしていた旅が始まった。少しでも実り多き旅になるようここに今の気持ちを一度省みよう。
 まず、求められて自分が行くのではなく、自分が求めてそこに行くのだということ。1週間やそこら、その施設で働いたとしてもそんなもので奉仕した、とか彼らのために何かしてやれた、と考えるのは感傷に過ぎない。自らの視野や器を広げる経験をすることで、自分の足元をより確かなものにするために行くのだ。決して何か偉いことをしにいくわけではない。
 そして彼らは見せ物ではない。訪問者としてではなく、アルバイターとして訪れることの意味がそこにあることを決して忘れないようにしよう。外から眺めて何か分かった気になるのではなく、例え1週間でも彼らと人対人の付き合いをするためにアルバイターとしての訪問を希望したのだ。「かわいそうな少年」がたくさんいるところだというような乱暴な理解だけは、相手が人であるだけにあってはならないように思う。

 同じ時代を生きながら、生まれる場所が少しずれたということがどのような違いを生むのか。彼らと自分がどれだけ違う(同じ)なのか。彼らが背負ったものは何なのか。自分のできることは何なのか。五感のすべてを使い、真実を、その場から1つでも多く汲み取りたい。
 待っている仕事は決して楽ではないだろう。素直な子ばかりではない子供達相手に短気で世界の狭い自分にとっては投げ出したくなるようなこともあろうが、自分が行動を起こしたエネルギーが自分や周囲に少しでもプラスの何かに変わるよう自分なりに精一杯がんばろう。

7月21日

 丸一日かけたフライトの末、6時過ぎにフランクフルト国際空港に到着、ICE(ドイツの高速鉄道。日本の新幹線に当たる)にてオーバーハウゼン中央駅を目指す。途中ケルンで乗り換えとなったのだが、少しお腹がすき、1本くらい逃しても、と食事をとったのが甘かった。予定していた便の次の便はなんと2時間後。ありゃ、中央線とは違うのね。さらにその電車も20分遅れで到着。日本で新幹線が特別 な理由もなく20分も遅れたら大問題になるのに、皆さん何事もなかったかのように乗り込んでいかれます。ドイツ人が時間に厳格そうなイメージを勝手に持っていたのは僕だけでしょうか?そしてオーバーハウゼン到着後、バスで平和村へ。ヨーロッパは大人の社会で、日本の乗り物のようにただ乗りをしようと思っても簡単にはできないような仕組みになっておらず、たまに遭遇するコントロールに見つかりさえしなければいくらでもただで乗れる。そしてほとんどの人が定期券を持っており、一見するとバスは完全なる公共の乗り物で無料なのかと勘違いしてしまう。そういうわけで私の平和村への小一時間は薩摩守となってしまった(長い言い訳である)

 そしてついにFREEDENSDORF INTERNATIONAL、国際平和村に到着。予想していたほどいかついものではなく、ごく普通 の、
幼稚園のよう。子供達みんなものめずらしげに僕を見る。僕はこの光景に似たものをテレビで見たことがある。それは名古屋の動物園で日本に初上陸したパンダの檻の前に並んだ人々だ。そして、彼らは見も知らぬ 東洋人に「ハロー」と次々と明るい挨拶をしてくれる。僕は平和村の子供達は、ちびまるこちゃんの野口さんのような影を背負っているものだろうと勝手に想像していたが、それはもう、この瞬間に間違いであることを知らされた。みなさん、お手柔らかにお願いしますねー。
  荷物を置いたら早速お仕事へ。平和村のシフトには早番と遅番の二通 りがあるが、滞在する1週間のうち、遅番の日は今日だけとのこと。疲れたなんていっている場合ではない。最初のお仕事はドゥッシェン(シャワー)。と言ってもそんな立派なシャワールームがあるわけはなく、日本でいうところのユニットバスの少し大きなものに2,3人ずつ次々に入れていく。水洗トイレに加え、おまるが二つ置かれていて、最初のうちはにおいも多少気になってしまう。施設が飽和状態でトイレすら足りていない、ということをうかがわせた。実はそのユニットバスはすぐとなりにもう一つあるのだが、これは使える子と使えない子がいる。入り口に大きくHepaと書かれたこのユニットバスは肝炎の子用に分けられたものだ。肝炎には水を媒介して伝染する種類のものもあるためだ。 何だ、みんな素直じゃん。そう思ったのは甘かった。最初の方は割と言うことを聞く子供達が入ってい
たのだ。そのうちにだんだんと聞かん坊も増えてくる。
  こらこら蹴るんじゃない。ベッカ、イズマエル、カレンの3人は僕をサッカーボールか何かと勘違いしているらしい。蹴られたらとりあえず「こら」と一言、そして最初のうちは微笑んでみていた。こらこら、おいおい、やめなさい、(プチッ)いい加減にせんかー!!怒る僕を見て大喜びする3人。うーん、いきなり前途多難・・・。と思うと3人とも親指を立て、「レッカ?」と笑いかけてくる。「レッカ」とはおいしいと言う意味でこの場合は「俺の蹴りは効いたか?」という意味だそう。私もずいぶんなめられたものである。
 外に出るとたくさんの子供達が僕に興味を示し、飛びついてくる。黒ぶちのめがねや、Tシャツにデザインされた赤ちゃんの顔、そして八重歯まで、僕のすべてが面 白いらしい。一つ一つに手を伸ばし、面白そうに見入る。か、かわいい・・・。みんなの歓迎が嬉しくて寄ってくる子に高い高いをしているといつのまにか僕の周りには人だかりができていた。「ノッホメアー(もっと)」「イッヒアウフ(僕も)」はいはいはい順番ね。はしゃぐ彼らの瞳の輝きががなんともまぶしい。
 その中にはさっき僕をやりたい放題にしたカレンもいた。調子のいいやつめ、と思いながらもいつもより少し高めに上げてまーす。(染乃助、染太郎風に)すると、もう喜ぶ喜ぶ。それからの彼は僕の手をひき、一緒に遊んでくれた。はい、一丁上がり。まさかこんなところで「みかちゃん」を高い高いした経験が生きるとは。(後日談 この認識は甘く、翌日からはまた僕はカレンに蹴られ続けた)  元気もよく、見た目にも怪我はないカレンも服を脱ぐとお腹にうんこがてんもり。なぜこんなところに?そう、彼は消化器が悪く、お腹に人工肛門をつけ、腹から排泄を行っているのです。そしてあまり暴れすぎるとお腹にはみ出たうんこがたっぷりとついてしまうことになる。僕が高い高いしたせいですね、すいません。彼はお腹の回りを清潔に保つため、ドゥッシェンの前には別 の桶で消毒をする。その桶の水を面白がって僕にかけてくるカレン。排泄物をたっぷりと溶解した水を、しっかりと全身に浴びる。しかし、子供の前で変な顔をするわけにもいかず、やめろよー、と言いつつも笑顔。彼の目には喜んでいるように見えたのでしょうか。
 そのあとは子供を部屋に入らせ、寝かしつける。しかし時間はまだ8時前後。子供が素直に寝るはずもない。でもその横で、時差や移動の疲れもあり、いい加減僕は夢うつつ。言うことを聞かない子供に言うことを聞かせる夏樹の活躍を、ただただ眺める。すげー、がんがん叱っている。やってきたばかりで子供達とコミュニケーションを取ることに必死の僕にはとてもできない芸当に心の中で拍手を送る。1週間しかいないぼくは仲良くすることしか考えておらず、こんなところ一つとっても意識や行動が全く違う。いいんだ、自分は自分にできることをやろう。

7月22日

 今日は早番。「モルゲーン!」元気よく子供達を起こしてまわり、部屋を出す。8畳ほどの一部屋には二段ベッドが4つほど。あまり余裕のある配置とはいえない。 その隙に部屋を掃除。ベッドの上で泣き叫ぶ子供。ドイツ語の解せない僕は困り果 てるが、隣のベッドでイズマエルが「ウンテン」と言っている。ウンテンとは地下の女の子の部屋を指す言葉として覚えたが、本来は下という意味。そうか、下りたいのね、と床を指差すとコクリ、とうなずく。ちょっとしたことだがなぜかとても嬉しい。
 早番の仕事の大まかな流れは起こした子供を着替えさせ、朝食、歯磨きまでさせたら外で遊ばせ、部屋を掃除。そして昼食を取らせ、その片づけまで、という感じである。
 朝食用に用意された大量のパンに一つ一つバターやチーズを塗っていく。このパンはオーバーハウゼン市内のパン屋さんが廃棄するものを平和村に分けてくれたものなのだそうだ。しかし、山パンで稼いだ金で渡った異国の地で、同じ仕事が待っているというのもなかなか皮肉な話である。
 そして片付けを手伝っていると、アフガンの美少女シュグーファが「あなたは女の子なの?」と聞いてくる。確かに小学生くらいまでは僕は女の子に間違えられることもあったけど、ひげの伸びた今日の僕が女の子?はて。状況が飲み込めず、きょとんとしていると、どうやらいつも女の子がする仕事を手伝っているから、ということらしい。アフガニスタンでは男女が話すことも禁じられているため、そういう意識も育ってしまうのだろう。もちろんシュグーファも半分は冗談で言っているのだろうが、日本の子供がこの状況を見てもそんなことを言おうとは思いつきもしないだろう。

 シュグーファは例外的にある程度話してくれるが、多くのアフガンの女の子にはコミュニケーションが取りづらい。挨拶をしても返してくれない子が多いのだ。無理もないことだと思うが、少し寂しい。しかし、ほっかむりをかぶったその姿はかわいらしい。
 片づけが終わると子供達と外で遊ぶのだが、僕に一番なついてくれたのはアフガンからやってきたイズマエル。彼は全身に大火傷を負っている。特に顔は火傷がひどく、完全に焼けただれた顔からは、その下にある頭蓋骨の形が想像できるほどだ。しかし、そのような顔を恐れるものも、避けるものも、果 たしてこの平和村には一人もいない。
 イズマエルと三口の赤ちゃんアンナに手をひかれ、平和村の中を走り回るが、ほんとうに狭い。野球のダイヤモンドが恐らく3つは入らない程度の広さに詰め込まれた人数はなんと180人。定員80名の倍以上である。刑務所といい、平和村といい、本来空いているべきところほど人であふれ返っているのはなぜろうか。そしてその狭い敷地の中から子供達は通 院以外で出ることが許されていない(まれに散歩などに連れて行ってもらえることもあるが)。さらに脱走を防ぐため平和村の敷地の中でも、目の届かないところには行ってはいけないことになっている。必然、子供達の自由に移動出来る範囲は狭くなり、大人の足なら1、2分あれば全部回れるほど。全く彼らの世界は広いんだか狭いんだか。(脱走は主に、平和村を嫌がってではなく本国に帰りたくないから、という理由による。実際これまでも何件かあり、いまだに行方の知れない子もいると言う)
 朝はあんなに活発に僕に話し掛けていたシュグーファが、昼食時には泣いている。夏樹が理由をたずね、優しく諭している。悔しいが言葉のわからない僕には出る幕がない。こういう状況を経験する方が、火星人に言われるよりよっぽど異文化コミュニケーションの大事さが身にしみる。 昼食後の1時間、僕にずっとついて回っていたのがミチゴーナという5歳くらいの女の子。彼女の手は火傷で全く原形をとどめていない。左右に10本ある指のうち、今も自由に動くのは右手の親指ただ一本である。火傷をしたとき、この子はどんな顔をしていたのであろう。可憐な笑顔からは全くそれは窺い知れなかった。 早番と遅番の交代の時間となり、寄宿舎に帰ろうとすると、イズマエルが足にしがみつき、ミチゴーナも手を離そうとしない。「チュース(バイバイ)」というが「ナイン(いやだ)」とまるで聞いてくれない。二人の熱烈なラブコールにたじたじの俺。僕は若い女性にはモテないのに、なぜか子供とおばちゃんにはよくモテる。嬉しいけど街に行って日本と連絡取らなきゃいけないのごめんね。スタッフの部屋まできて一生懸命窓を叩くミチゴーナに後ろ髪をひかれながらも今日のところは上がり。熱烈な歓迎どうもありがとう。ほんとうに皆かわいい子供達だ。

7月23日

 朝から体調悪し。半分ボーっとしながら仕事をしていたがよりによってこんな日に限ってとてつもなく忙しい。ベッドのシーツを一つ一つ替えてまわる。しかしこんな仕事一つとっても夏樹の仕事のペースは僕の倍以上。そんなところで張り合うつもりもないが、やはりちょっと悔しくもあり。あまり役に立ってはいなかったと思うが、精一杯のことをやればいいのだとそこは割り切る。
 今日の昼食はキャベツの水煮とレバーブーストを焼いたもの。子供達は、肉に近いものが出るとほんとうに先を争うように食べる。しかし野菜を食べるまで肉のお代わりはなしというのが、日本と同じでとても面 白い。
 ドイツでは昼食がdinnerとなる。平和村では朝、晩はパンのみだが昼だけはおかずが出てくる。味もそう悪くなく、子供の年齢を考えれば量 もさほど少なくはないが、それでも食事を楽しむ、というほどにはない。少なくとも飽食の戦後世代である僕にしてみれば文句の一つもいいたくなるようなもの。それでも来たときよりは太っていく子も多いようで、現地での食事がうかがわれる。ジュースのペットボトルを片付けようとした僕の手からボトルを奪い、最後の一滴を必死でなめる光景はちょっと切ない。最初は笑って見ていたが、途中からそのあまりの真剣さが鬼気迫るものを感じさせ笑えなくなってしまった。
 食べたら歯磨き。アフガンからきた少年ムルムハマドは先の空爆で片手は肘から先を、もう片方の腕はほぼ丸々全部に加え、眼球までも奪われた。最初は僕が磨いていたが、あまりにも僕が下手なのを嫌い途中から自分で磨き始めた。脇の下に歯ブラシをはさみ、シャカシャカと磨いていく。ほほう、うまいうまい。(と感心している場合ではない) また、彼は眼球がないのだからものが見えているはずはないのだが、テクテクと平和村の中を歩き回り、アルバイターの名前を呼ぶ姿を見ているととてもそれが信じられない。何度も「この子は本当に見えていないの?」と夏樹に尋ねたほどだ。長い時間をかけて、どこに何があるかを覚え、また、残された聴覚を研ぎ澄ますことで声で人を覚え、足音で人がどこにいるか判断しながら何とかそうやっているのだろう。

 もちろん本国が攻撃され、第二、第三の攻撃が間違いなく来ると分かっている場合、何の手も打たないというのはありえない話である。アフガンへの空爆も、新たな犠牲者を出さないため、という自衛的な性格も含んでおり、それ自体を否定するつもりはない。しかし、それは報復であってはならない。「ならず者国家」に報復する国もまた「ならず者国家」である。ムルムハマドから、腕を、光を奪うことによって犠牲者はうかばれるのだろうかと思わずにはいられない。 先の空爆では核兵器以外では最強の破壊力を持つと言われるBLU-82型、通 称デイジーカッターが数発使用された。これは軍事力を誇示した報復に他ならない。ヒロシマ・ナガサキ以降、核戦争の恐怖に最もおびえ、そのために、軍拡競争では常に世界のトップにいなければならなかったアメリカは、過去の経験に何も学ばなかったようである。  
 この日は2時半までの仕事を1時で切り上げ、チームB全員でルール川の遊覧船に乗った。楽しみのために仕事を早く切り上げる。こういうゆとりを、日本人も学べないものでしょうか。

 ルール川の遊覧船でスタッフと

7月24日

 昨日の無理がたたり、体調が最悪に。朝、着替えをさせ、朝食までは仕事をしてみたが、いい加減ボーっ、とするので思い切って今日は休むことにした。半分寝たままでは十分に仕事もできないし、子供にも失礼である。アフガンのかなり大きな子供は、夏樹に「あの日本人、前で寝てるよ」と笑いながら言っていたようだ。どうもすいません・・・。やるときはやり、十分なことができないなら次に備えて思い切って休む。そういったメリハリがどうも僕には足りない。
 1日中寝ていた床で考えていたことはやはり平和。戦争がこの世からなくなれば、平和村はその使命を終える。そしてそれが平和村の究極の目標だと言う。僕もその日が来ることを願ってやまない。
 しかし、戦争がなければそれが平和なのだろうか。拮抗した力の二者の間には争いが起こる可能性があるが、その間に圧倒的な力の差があれば争いは起きにくい。そうやって強者が弱者を押さえつけ、見た目には争いのない世の中を平和と呼べるのだろうか。かぎ括弧 つきの「平和」を作り上げ、平和村が必要ない世の中を作り上げることが、まずは重要で、それすら大変な大仕事だが、真の平和はまだその先にある。

 旅行中読んでいる「黒い雨」にこんな一説があった。『わしらは国家のない国に生まれたかったのう』今現在、日本とアメリカが戦争状態に陥ることを、想像することは不可能でも、想定することくらいはできる。けれども、大分県と鹿児島県で戦争することを誰が想定できようか。帰属意識は将来世代への責任を意識させる上で重要な概念であるが、それを狭い視野で持つことはしばしば悲劇を生んでしまう。
 「宇宙船地球号」。使い古されたフレーズではあるが、地球の住人全員がその乗組員になり、現在我々が「豊後と薩摩で戦をしていたような時代もあったんだね」というのと同じように、将来の人類が「昔の人は世界大戦なんかしていたらしいよ」と振り返れる日が一日でも早く訪れないだろうか。僕にはその日を手繰り寄せる糸を、精一杯引っ張る権利と義務があるように思う。

7月25日

 デュッセルドルフ旧市街のカフェにて

 今日はおやすみ。隣町のデュッセルドルフの旧市街を見に行く。平和村を出るとき、ミチゴーナが僕を見つけ走り寄ってきた。「おうちに帰るの?帰らないでね。」そう言う笑顔にじきにやってくる別 れを思う。
 切ない気持ちで平和村を後にするが、デュッセルドルフの旧市街は期待通 り、きれいな石畳の街並みだった。ヨーロッパの街を見ていると日本の街は汚いとつくづく思う。石畳や緑の配備に加え、広告や看板のセンス一つをとっても街並みを美しく保つ意識が全く違う。いや、僕は日本が大好きなんですよ。もちろん世界で1番。だからこそより美しく変わるといいな、という願望も起こってくるわけで。
 ライン川のほとりでその豊かにたたえる美しき流れをながめ、流しのギタリストの演奏を聞く。そののどかさを包み込むこの日の空は、その下に広がる世界がどこも平和であるという錯覚を誘うに十分なほど、どこまでも青く澄み渡っていた。

7月26日

  今日は大きな子供達の担当。大抵のことは任せられるので、仕事自体は少ない。が、その分言葉の壁は厚い。着替えをさせるのに言葉はなくても問題はないが、ものを頼んだり、指示をしたりというのは、ほぼ不可能だ。 食堂では朝も昼もけんかが起きた。今日は特別多かったようだがけんか自体は珍しいことではないらしい。こんな狭い空間に閉じ込められ、四六時中顔を合わせていれば、いたしかたのないことなのかもしれない。けれども彼らは栄養状態も悪く、けがをしやすいため、体を使う遊具すら平和村内に置けないほど。 けんかは起こったらすぐに止めなければならない。
 昼までの間は子供達と戯れたが、だんだんと、遊ぶ相手が固まってきてしまっている。人懐っこい子とそうでない子、言葉以外で意思の疎通 をうまく図れる子とそうでない子、一人一人に特徴があるので仕方がないが、なるべく、いろいろな子とコミュニケーションを取りたい。でも、心に傷のある子なのかもしれないと思うと、なかなか声をかけづらくなるのも事実である。
 イズマエルとミチゴーナは2人で僕を奪い合う。しかしまあ、よくあきもせず、小1時間も同じことを続けるもの。しかし、彼らは単調な毎日に退屈することもあり、少し珍しいものに飛びついているのかもしれない。「飽きた」は、こちらからは言ってはいけない言葉なのだ。反省。
 取り合いの末、ミチゴーナが泣き出した。はいはーい、泣かない泣かない。いくら諭しても火がついたように泣くミチゴーナには一向に効果 がない。喜ばせてみようと耳を動かして見せるとぴたりと泣き止み、大きな声で笑い始める。僕の芸はインターナショナルにうけるらしい。えへへへへ。
 1週間しかいない僕の使命はこうして子供達の退屈を少しでも紛らわせてやることなのかもしれない、と思い、昼下がりはエンターティナーに徹する。耳を動かすだけでなく、必殺変な顔。おっうけてるうけてる。子供達は、日本人はみんな空手ができると思っており、「カラテ、カラテ」とリクエストしてくる。よし、と昔友達に習った正拳突きと、ブルースリーのみようみまねの跳び蹴りを披露。これも受ける受ける。「ドゥ、ジャッキーチェン(お前はジャッキーチェンなのか)?」違います。こんなもの本物の空手家に見られたらそれこそ正拳突きである。
  こんなものがそんなに面白いのか、と本人は思ってしまうが子供達は「ノッホメアー」を連発。この後も僕の顔を見ては何か芸をやれ、と言うことになる。あまりに子供達がエキサイトするのでさらに調子に乗って割り箸も割ってやろうかと思ったが、日本人を誤解させてはまずい、と思いとどまる。
 しかし割り箸は思いとどまったが、調子に乗りすぎる悪い癖が、やはり僕にはある。肩車をし、走り回ると子供達が「イッヒアウフ」の連続。夏樹の「気をつけろよ」の声も「大丈夫大丈夫」とはねのけ、次々に肩車をして走り回っていると・・・・向こうから走ってきた子をよけきれず、衝突してしまった。幸いすぐに泣きやみ、僕に抱きついてきてくれたが、一歩間違えればしゃれにならないことになったかもしれない。全く一緒に遊んでいるつもりが、実は自分が一番はしゃいでいるのだから世話はない。僕の落ち着きのなさだけはなぜかどうにも直らない。
 仕事を終え、アルバイターの部屋に入ると、窓の外から3歳くらいの子がこっちを見ている。思いっきりおどけた顔をして見せた僕に対しての反応は「オー、バラバーラ(こいつあほだよ)」子供は僕らが思っているほど幼稚ではないのだ。いいよ、何とでも言ってくれ。そんなあほを見ているほんの何秒間かでも、君達が言われなくして強いられた苦痛を忘れてくれるのなら。

7月27日

 ん?夏樹の様子がおかしい。どうやら風邪をうつしてしまったようである。今日の夏樹はクランクへ。ごめんね。僕はフクドさんについて回る。
 アフガンのかなり大きな子に掃除をするよう指示をするフクドさん。なかなかうまく言うことを聞かないようだ。そう思ってみていると、フクドさんが一言。「彼アフガンの言葉しかしゃべらないんで何言ってるか分かんないんですよね」今まで自分が言葉ができないから・・・と思っていたことは完全に甘えだったことを思い知らされる。シフトに名前のある責任感とそれのない無責任の大きな違いだ。
 着替えをさせようとすると、イズマエルがお尻にうんこをいっぱいつけている。 「ドゥッシェン、ドゥッシェン(シャワー浴びたいよ)」気持ちが悪いのであろう。さらに他の子供も「カカ(うんこ)」といいながら臭そうな顔をしている。早く流してあげたいが、彼は肝炎を持っている。ゴム手袋を用意してもらい、Hepaと書かれたシャワールームへ。手袋をすれば多分大丈夫だろうと意を決するが、少々不安で尻込みもしてしまった。エイズ患者などへの差別 が時に問題になることがあるが、やはりまずは知ること。その重要性を感じた。

 彼は全身大火傷の上に肝炎と、たくさんの障害を抱えている。平和村に来た当時はまばたきすることもできず、下唇もなかったらしい。平和村の子供達の治療はすべて病院の善意によって行われ、その子供を受け入れる病院の数も、ドイツ国内の病院の1割以上を占めている。しかし、イズマエルは治療にあまりに費用がかかりすぎるので、病院もなかなかそれを進められないのだそうだ。
 今日は仕事を出来る最後の日。出し惜しみせず、思い切りエンターティナーになることを決意。とにかく1日中子供達とコミュニケーションをとりまくる。芸を見せろのリクエストに片っ端から応えて回った。
 前回、僕の歯磨きを嫌がったムルムハマドも、今日は最後まで磨かせてくれた。反省を生かし、脂汗をかくほど集中してがんばった甲斐があった。
 彼を襲った爆弾がアメリカ軍の落としたものか、タリバン軍によるものなのかは分かるはずもないが、彼は「アメリカがやったんだ」といつも言い張っているらしい。可能性の問題は別 にして、感情的にそう主張する彼に「憎しみの連鎖はより大きな憎しみしか生まないんだよ」と僕は言えるだろうか。言っていいのだろうか。僕の頭は完全に平和ボケしてしまっている。
 あいかわらず僕について回るイズマエル。彼はとても臆病だ。それが幼い頃(今では違うと言い切れないのが少し悲しい)の僕を見ているようでかわいくもあり、まただからこそイライラすることもある。ベンチの上に立ち上がったが、一人で降りることが出来ない。彼よりもっと小さなフランシスコですら簡単にこなし、何度もイズマエルに手本を示す。けれども「ナイン」と泣き叫ぶばかりで、ちっともやってみようともしない。彼を通 し、幼き日の自分に必死で声援を送るが、結局みかねた職員がおろしてしまった。なんともいえない物悲しさ。幼い頃の僕を励ました人々も、同じような感情を覚えていたのであろうか。
 そのフランシスコ少年はやはり顔に火傷を負っており、アンゴラからやってきた。まだあまりドイツ語がわからないようでほとんどしゃべらないが、その分言葉の出来ない僕に共感するのか、コミュニケーションを図ってくれる心の優しい子だ。イズマエルの臆病さに対してもとても優しかった。この、身長は1メートルにもはるかに満たない彼が、トコトコとかけてきてガバッと僕に飛びつくかわいらしさと言ったら・・・。僕は渋谷の女子高生のように「かわいい」以外の語彙を失ってしまった。

 平和村の子供達は手をつなぐのが大好き。ちょうど幼稚園児が保母さんと手をつなぎたがるのと同じだろう。そして、片手で何人もの手をつなぐとそれを嫌い、奪い合いを始める子がいるところまで全く同じ。本当に嬉しそうな顔で手を握る顔や、真っ赤な顔で手を奪い合う姿は文句なしにかわいい。すいません、さっきから「かわいい」ばかりで。僕、こんなにかわいらしいものを表現する言葉を他に知らないんです。
  僕はこの平和村でいろいろな手を握った。黒い手、白い手、黄色い手。火傷で変形した手、指が2本しかない手、動く指は1本しかない手、手そのものがない「手」。どの手もそれぞれの国の未来を作る「大きな」手だ。ぼくは君らの手を握ったこの手で、平和の糸を手繰り寄せる。だから君らはその手で、決して武器を持たないで。

 シュグーファが、「わたしの名前知ってる?」と聞いてくる。あれっそういえば思い出せない。何としたこと、僕としたことが美少女の名前を押さえていなかったとは(?)。「モーメント」と一言残し恵美子さんに尋ねてカンニング。「どうして知っているの」と大声ではしゃぎまわるその姿は、まさに15年前に見たクラスメートのそれそのものだった。
 アフガンの男の子達とは体で語り合う。あっ、いえいえ変な意味ではありませんよ。いっしょにスポーツをした、という意味です。「リュウスケ」という名前はどうしても難しいらしく、平和村では覚えた子供は皆無。彼らも僕のことは「ヤパーニッシュ(日本人)」と読んでいた。僕を日本人の代表だと思っているとしたら、ちょっと怖い。うーんなんだかなあ。
 平和村の子供達は体のどこにも問題を抱えていない、ということはまずない。テニスボールでサッカーに興じる子供達の中にもまっすぐ歩くことも、まして走ることなど出来ない子供もいた。どうするのだろうと思ってみていたが、懸命に早く歩き、それでも間に合わない分は体を投げ出し、必死でゴールを守っていた。ムルムハマドにも教えらたことだが、彼らは自分の体に理不尽に強いられた変化をしっかりと受け止めて、その中で何とかしようと必死でがんばっている。元通 りの体に戻りたいと思うこともあるのではないだろうか。それでも、自分の体にかこつのではなく、何とかその範囲で出来ることをやろうとする姿は本当に輝いて見えた。ないものねだりばかりしている僕が魅力的でないのは、多分十人並みな容姿のせいでも、平凡な能力のためでもない。ちょっと思い通 りにいかないだけでももう事実を受け入れようとしない僕が、いつか魅力的に輝く男になれたとしたら。それはきっと彼らのおかげだろう。1週間という短い間にも彼らに教えられたことは計り知れない。
 今日はやりたいことが比較的よく出来たと思う。最後だから、という決意と夏樹に対する甘えがもてなくなったからだろう。だったらなぜ最初からやらなかったんだろうか。端から仕事なんかできないと分かっていたであろうに、気持ちよく滞在を許可してくれ、滞在費まで負担してくれた平和村の寛大さに対し、僕はちっともお返しが出来なかった。

7月28日

 いよいよ、別れのときがやってきてしまった。 7時半、まずはアルバイターにあいさつ回り。そして子供達には「tschuss(さよなら)を言って回る。何人かの子供には、丸暗記ドイツ語で「もうおうちに帰るから」と説明した。これは、通 じた子と通じなかった子がいたが、さびしげな表情で僕の手を握ってくれたあの子らを、僕はきっと忘れない。 そして名残惜しく小さい子の食堂に顔を出す。今日も何事もないかのように、いつもどおりの慌しく騒がしい食卓だ。イズマエル、ミチゴーナ、シュグーファ、アンナ、マリアン、エドワルド、カレン、そして、名前を知らない君達、みんなみんなありがとう。

  ミチゴーナが手招きで僕を呼ぶ。いつもは仕事をしなきゃ、と突っぱねるが、今日は仕事はない。洋服を噛み、普段は何度「ナイン」と言っても笑ってもう一度噛みついてくるこの子が、今日は一言で素直にやめた。彼女の一本しかない指が、強く、強く僕の手を握りしめる。そして、頬に僕の手を導く。僕もありったけの気持ちを込めて抱きしめた。恵美子さんに寂しがるから、とミチゴーナに帰ることを教えるのは止められた。けれども彼女は分かっていた。なぜ僕が今日は普段見慣れないきれいな洋服を着ているのか。ドイツ語のわからない僕にも通 訳の必要のない言葉を、彼女は目で語っていた。もう会えないだろう。同じ思いを分かち合ったあの時間は永遠に続いたとしても飽き足りることはあるまい。
  やんちゃなトレバイに、僕のへっぽこジャーマンは通じなかったようだ。フクドさんが同じことを改めて伝えると今まで見たこともない表情を見せ、僕の胸に顔をうずめた。「男が泣けるか」と普段口にする僕も、このときばかりは少しでも気を緩めていたら、涙の雫が堰を切ったに違いない。滞在中、僕が披露した変な顔を見せてくれと言うトレバイ。僕も精一杯崩せるだけ崩した顔で応えた。 みんな、何も出来なかった僕に最高の報酬をありがとう。
  8時15分。夏樹が寝込んでいたせいもあり、ワークキャンプの人に別 れを告げたあと、1人でひっそりと平和村を後にした。1週間だけの滞在で、たいした仕事もせず、やってくる子供も、アインザッツも見なかった僕がこれほどまでにつらいのだから、他のアルバイターの別 れはどれだけつらいことだろう。 バスを待つ間も、乗り込んでからも、僕の心はちっとも場所を変えていなかった。寂しさを紛らわし、ワークキャプの人々がいつもかけていた「OverDrive」をバスの中でずっと口ずさんでいた。

  夢はいつまでも覚めない。しかし、この1週間は現実だ。もし夢ならさめないで。いや、目を覚ましたそこには平和村のない世界が広がっていて。僕の意に反し、どんどん流れていく車窓の景色が余計に寂しさをかき立てた。
  たった1週間しかいなかった僕との別れを惜しんでくれた、子供達。僕は、その痛み以上の何かを与えることが出来ただろうか。 でも一番悲しんでいたのは、他でもない、僕だった。平和村の子供達はとても大人びたことを言い、年齢を聞いてびっくりすることがあると聞いた。東ちづるさんも「わたし達の人生は忘れる人生なの。あなたもわたしのことはいつか忘れるの。だから悲しまないで」と友達を慰める12歳の少女を見て本当に驚いたそうだ。みんなたくさんの別 れを経験し、命とも向き合い、その中で僕なんかよりもずっと強い芯を手にするのだろう。そんな小さな巨人達を子供、子供と表現する、僕が一番子供だったかもしれない。


  僕は、世界でももっとも裕福な日本という国の、その中でも比較的経済力の恵まれた家庭に生まれ、人が望んでも受けられない高等な教育を受け、それほど大きな不自由もなく、21年間生きてきた。そのことがどれだけ特権的なことだろう。妙に構えて乗り込んだ僕に見事なまでの肩透かしを食らわせてくれた彼ら。本当に、日本の子供達と何一つ変わらない。だからこそ「なぜこいつらが?」の思いは拭えない。
 僕は自分が特権的な場所に生まれたことは感謝している。そしてそのことを、彼らに対しても申し訳ないとは思わない。けれども、その特権的な暮らしの権利には義務も伴う。就学年齢であるにもかかわらず、学校にすら行けない彼らが、僕の受ける教育を見たら、きっと思うだろう。「僕の分もがんばって」と。 彼らが教えてくれたこと、この滞在で得た人生の糧は本当に計り知れない。これからはしっかりと足元を見据え、出来ることを精一杯こなす毎日を送ろう。出来ないと思っていることも出来ることなのかもしれない。石ころだって、磨けば輝くんだ。そしてその輝きが、一人でも多くの人の暗闇を照らし出せれば。僕はダイヤモンドでなくたっていい。

みなさまのご意見をお待ちしています。
mailto:message@osekkaiz.com



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